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明治・大正時代の時間を現代の時間に例えてみる

下書きにしてあったので本日2012年7月22日公開。歴史観を掴むには自分が知ってる時代に置き換えたらいいんじゃないかと。


戦後バブルの中で生きてきたある年齢以上の日本人は太平洋戦争を始めてしまった大正のころの日本人と似ている。戦争突入までの日本は、明治開国以降、全般的に平和だった。1883年には鹿鳴館が出来たが、この1883年を1983年に置き換えれば、それはバブルをそろそろ迎える時期の日本になる。

鹿鳴館は1887年に閉館したが、バブル絶頂期の1987年に閉館したと例えれば当時の雰囲気を想像できそうだ。


1883年鹿鳴館オープン  1983年ディズニーランド開園
1887年鹿鳴館営業終了  1987年「夕やけニャンニャン」が放送終了

1875年から85年ぐらいまで日清戦争があった。1975年から1985年まで日本が海外で戦争していたと想像してみる。なかなか思いつかないが当時の日本は最終的にこの戦争に勝った。戦争と石油ショックは違うけどそのようなものだったのか?

1890年には電話が開業した。当時の日本人がどんな気分か想像したければ1990年にインターネットが広がり始めたときを想像すればいい。鹿鳴館で盛り上がった後、ハイテク通信機器が登場したわけだ。ジャパン・アズ・ナンバーワンって気分に違いない。1891年には二宮忠八が初飛行に成功したりして、もう超先進技術ハイテク国家である。おそらく当時の日本人は、1990年代初頭の日本人と同じマインドである。

1994年には小泉が北朝鮮への派兵を決定じゃなくて伊藤博文が朝鮮への派兵を決定していたりする。

1890年代はイケイケな感じだった。95年には博覧会で裸体画の展示があったり96年には映画が始まったり。鹿鳴館で遊んでた人たちが90年代に活躍した感じがします。

1900年、ミレニアム。1901年には電話加入者が1万人越え。その一方で治安維持法が制定されたりする。

電気は1882年に銀座で点灯。要するに1982年に電気が出来たと想像してみよう。1900年には電燈照明20万灯になった。東電は1906年に開業だ。2006年である。時間軸で見るとインターネット企業みたいだ。

鹿鳴館で踊ってたのが1980年代で2000年代始めには電気・電話が普及した。東京で1万人が電話を使うようになった。携帯電話が普及したのと同じに見える。20世紀始めの日本では携帯が普及しつつあったと覚えればよい。当時の日本の都市生活での豊かな層は現代とあまり変わらない。


1895年 放射線の発見 

1995年 
(インターネット)
NTT、「テレホーダイ」サービスを開始。
(バイオテクノロジー)
北海道大学でADA欠損症の男児に初めて遺伝子治療が行なわれる。モンサントが除草剤耐性、害虫抵抗性の遺伝子組み換え作物を商品化。日本で初めて遺伝子組み換え作物が食品として認可される。
モンサント社の自社歴史年表

1870年ぐらいに生まれた日本人は1905年には35歳である。どんな日本人だったか?1890年代には何があった?電気と電話が普及する。当時のNTTか東電に就職していればバラ色である。今に置き換えれば1970年に生まれて1992年に就職。

1970年生まれ    → 1870年生まれ(1883年鹿鳴館オープン!いいなあ大人たちは、遊べて)
1992年に就職    → 1892年に就職(1895年ワイセツ画騒動)
2000年までの日本  → 1900年までの日本(電話とか電気とかハイテク技術が成長)

100年後の現在だと、ソ連崩壊で現在も続くグローバル経済競争に巻き込まれている話だが当時はどうだったか?

日露戦争
1904年2月8日 - 1905年9月5日
イラク戦争
2003年3月20日 - 2011年12月14日米軍の完全撤収

日露戦争があった。日露戦争は1年7ヶ月。本土は巻き込まれず。日露戦争は日本が勝つという結果となった。向かうところ敵なしという「空気」の当時だったのか。2004年の2月から2005年の9月まで日本が戦争していたと想像してみる。イラク戦争への参戦が出来事としては近いか?

1905年 ドイツのアルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表
2005年
(インターネット)
Winnyで原子力発電所の内部情報が流出。
通信のオールIP化に向けた政策のあり方を提言~総務省・次世代IPインフラ研究会。
(INPRESS INOVATION LABインターネット歴史年表)

(バイオテクノロジー)
世界中で9000万ヘクタールもの農作地がGM作物で植えられました。これはおよそ2000年の倍の広さです。GM作物は1996年にはわずか6カ国で栽培されていたのが2005年には21カ国で栽培されています。(遺伝子工学の歴史)


1923年、関東大震災。

仮に1870年生まれの日本人がいたとしたら、この出来事は53歳のときに起きた出来事になる。ずーっと大惨事なく鹿鳴館や電気ブームに戦争に勝ったー!で生きてきた人なのでショックは大きく生き方を考え直したか・・・?

1930年代に突入。帝都東京生まれ。60代だ。役員か社長に就任したか?震災復興の特需もあったかもしれない。さあ、この1940年代何をやろうか。


以上
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